加納 莞蕾(本名:辰夫)(かのう かんらい)

加納莞蕾明治37年島根県能義郡布部村(現:広瀬町布部)に生まれる。

岡田三郎助に師事、本郷洋画研究所に学び、前田寛治、佐伯祐三と交友、その影響を受ける。独立美術協会創立にあたって二科展を脱し、これに参加、出品を続け独立美術協会会友となる。

昭和13年京城師団指令部付の従軍画家として中国、山西省に渡り山西省の大自然から「墨に五彩あり」という言葉の真髄を発見する。

終戦によりフィリピン刑務所に戦犯として収容されていた日本兵105名の釈放助命嘆願をおこし、ついに目的を達成させた。

布部という村からたった一人で送った平和を求めての手紙は、キリノ大統領、マッカーサー元帥、インドネール首相、ローマ法王等へ300通以上に及んだ。

キリノ大統領自らが、妻や子や兄弟を日本兵に殺されながら世界の友好・平和という崇高な宗教的哲学論に根ざした結論は、莞蕾の文章にもあふれており、その往復書簡も作品と共に公開している。

 

加納 莞蕾の作品紹介 (一部)

襖 柿とざくろ 黒牡丹 朝靄
「襖 柿とざくろ」 「黒牡丹」 「朝靄」