閣下

 第一嘆願書を奉呈して以来200日の間、日本人であるが故に負わなければならない戦争の極悪と罪の意識を反省してまいりました。厳粛な罪の意識と神への深い信念の履行から、裁きの前にある己を認識いたしました。そして「肉体で 生きている生活は、神の子としての信念での生活である」ということを悟りました 。「許し難きを許す」という奇跡によってのみ人類に恒久の平和をもたらし、「目には目を」ということでは決して達成し得ないということを、これまで以上に強く感ずる次第であります。

閣下

  閣下の手から残虐にも奪い取られた愛児の名においてー許し難きを許すーこの奇跡が現れることを待ち望むところであります。 何人といえども閣下の胸中に過ぎる悲しみと、怒りと、憎しみの深さを量ることはできないでしょう。私が新たに抱くに到った信念によれば、キリストの如く十字架にかけられ異教徒や不信心者をキリストの御足のもとに寄せ、「主」に感謝し賞賛せしめる慈悲の偉大なる奇跡を顕現させるために努力しているのは、天国にいます閣下の愛児たちでありましょう。

  この崇高なる奇跡の成就のあかつきには、 神にささげられた閣下の愛児の姿を救いの天使として 画布の上に不朽にとどめたい所存であります。それこそ貴国とわが国との友好と平和を生み出す最良の貢献でありましょう。

  私は自ら嘆願することによって共に裁かれ、神の許しを請う立場にあります。この苦行には絵を描くことは出来ません。全戦犯が古瀬と共に許され復活したその日に新しい画家として出発する決意であります。(1949年10月 第4書簡より抜粋)

1949年 10月 加納辰夫