私はフィリピンに服役中の日本人戦犯にフィリピン国会の賛同を必要とする大赦ではない赦免を及ぼした。私は妻と三人の子供とその他五人の家族を日本人に殺されたため、彼等を赦そうとはよもや思ってもみなかった。私は私の子供や国民が、やがてはわが国の恒久の利益の友となるかもしれない国民に、私から憎悪を受けつがしめないことを欲するが故に、これを行なうのである。結局、運命が私達を隣人となさしめた。 (これはキリノ大統領がそのとき発した声明の一部である。)


1953年(昭和28年)7月6日 フィリピン大統領エルビディディオ・キリノはンテンルパにあるニュービリビット刑務所に服役していた日本人戦犯105名の釈放または減刑を通告したとき、入院していた。このステートメントはアメリカ、メリーランドのボルチモアにあるジョン・ホプキンス病院の病床からとマニラの大統領府からと、同時に世界に公表されたものである。