安来市は、これまで米原雲海や河井寬次郎はじめ多くの芸術家を輩出してきました。没後50年を迎えた日本画家木村栖雲(1885-1967年)もその一人です。

幼い頃から画家を目指した栖雲は、大正元(1912)年、旦那衆と呼ばれる安来の文化人グループの後押しを受けて京都に出て、宮崎竹叢に絵の指導を受けました。さらに東京に移って南画界の大御所小室翠雲の元で研鑽を積み、大正5年に文展で入選したのを皮切りに、文展や帝展で活躍しました。
しかし、大正9年以降は一切の展覧会への出品を取りやめ、画壇とのつきあいも止めて画業一筋の暮らしを愉しむようになりました。

やがて、江戸時代後期に活躍した田能村竹田に憧れるようになり、その画風を積極的に取り込み、繊細で味わい深い山水画や花鳥画を描くようになりますが、それらの作品は当時の文化人や政財界の人々に支持され続けました。

ふるさとを愛した栖雲は、毎年帰郷し、多くの作品を安来の恩人や学校、神社仏閣に寄贈しました。作品には柔和で思いやりあふれた彼の人柄がにじみ出ています。
この機会に今もなお多くの安来人に愛されている木村栖雲の芸術世界をご覧ください。

パンフ

パンフ2