蒔絵師

 1896(明治29)年、安来市安来町の西小路に生まれる。1910(明治43)年、安来町尋常小学校を卒業し、京都に出て清水坂在住の高橋孝道(安来町出身)に蒔絵を学ぶ。

 若くして蒔絵の伝統技法を身につけ、棗や香盒、盆、硯箱など華麗な蒔絵装飾を施した作品を数多く発表。その卓越した技量が認められ、1925(大正14)年にパリ万国博覧会美術工芸展で主席入選、1926(大正15)年にはアメリカ合衆国独立150年記念フィラデルフィア万国博に「白毫光香炉盆」を出品し、グランプリを受賞、1930(昭和5)年商工省第17回工芸展に「金銀文様蒔絵硯箱」を出品し、入賞するなど、国内外で高い評価を得た。

 1931(昭和6)年郷里安来に戻ってからも精力的な活動を続け、1987(昭和62)年91歳で亡くなるまでその作品と人柄は地元の多くの人に親しまれた。