洋画家山崎修二の世界 -斎藤与里、加納莞蕾から伝えられた感動とともに 終了しました
展示期間 平成29年3月18日(土)~5月22日(月)
能義郡大塚村上吉田(現安来市上吉田町)出身の山崎は、17歳の時に我が国にフォーヴィズム(野獣派)を紹介した作家の一人である斎藤与里(1885-1959年)に才能を認められ本格的に絵を描き始めました。
本年が画家活動100年にあたります。
翌年、米子中学校を卒業しますが、進路に悩んでいた山崎は加納辰夫(莞蕾)を訪ねて絵の指導を受けました。その後、各地の代用教員を経て浜田高等女学校(後の浜田高校)に奉職しました。
山崎は1934年の帝展に初入選して以来、多くの展覧会に入選を重ねる一方、東光会の山陰支部山光会の初代会長や浜田高校教員として後進の育成に尽力し、「絵画は本格的でなくてはならない」という斎藤与里の教えを胸に常に修養を心がけ「自分は一生を一介の画学生として真剣に生きたい」という決意を貫きました。
一人の画家の生涯を通してフランスのマティスやヴラマンクらフォーヴィズム(野獣派)の絵画が島根に根を下ろして独自の美術を創り出していった物語をご覧ください。
(⋆崎は常用漢字を使用しています)
山崎修二「順子八歳像」 島根県立美術館蔵
山﨑修二 「崖と海」 浜田市世界こども美術館蔵