フィリピン戦犯赦免から60年  未来へつながる平和への想い

加納莞蕾

加納莞蕾

明治37年 島根県能義郡布部村(現:安来市広瀬町布部)に生まれる。

大正10年 この頃から油彩を本格的に始める。

大正13年 能義郡布部村尋常小学校訓導。

大正15年 小学校を退職し、上京。川端画学校および本郷洋画研究所に入所。油彩を修学。 岡田三郎助に師事し、前田寛治・佐伯祐三らとの交友を深める。

昭和2年 この頃から、 光風展・白日展・1930年展・二科展・第2回聖徳太子奉讃展・独立美術展  などに出展・入選する。

昭和4年 帰郷し、布部村布部尋常高等小学校訓導。制作活動も続ける。

 

*油彩 「雉と水差し」
加納莞蕾作品展  *油彩 「雉と水差し」

 

昭和7年 浜田町原井小学校訓導兼島根女子師範学校訓導。

 

加納莞蕾作品展  *油彩 「富士山」 
加納莞蕾作品展  *油彩 「富士山」 

 

昭和9年 島根独立系画家グループを設立。

昭和12年 小学校退職し、朝鮮にわたる。

昭和13年 京城師団司令部付の従軍画家となり、中国山西省に赴く。

昭和20年 終戦により離鮮。松江地方海軍人事部に勤務し、マニラから引き揚げてきた古瀬貴季元海軍少尉 と出会う。その頃、島根洋画会を設立。

昭和24年 友人から古瀬氏が銃殺刑の宣告を受けたことを聞き、キリノ・フィリピン大統領に第一嘆願書を送る。 (絵筆を断ち嘆願活動が始まる

昭和25年 嘆願書の翻訳は、布部村の安養寺住職 村上光隆師が引き受ける。

昭和28年  キリノ大統領 声明を発表   ~フィリピン戦犯赦免~                                                                                                                             

 

加納莞蕾作品展  *油彩 「梨の花」  
加納莞蕾作品展  *油彩 「梨の花」  

 

昭和29年 布部村長となる。

昭和30年 キリノ前フィリピン大統領と会見(東京帝国ホテル)、バラの油彩を贈呈。 この頃より再び絵筆を持ち、水墨画に転向。(莞蕾と号する) 

昭和42年 莞蕾個展(安来・松江で開催)

昭和49年 フィリピン外務省参事官フローレンシオ・グーソンの招待で訪比。 「墨彩展」開催。

昭和52年 水墨画集 「莞蕾墨彩」 五彩会により出版。  8月15日 死去。